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愚者の狂宴
それは、魂の器。
力尽き、倒れたその者を見やる。いや、こと切れたその時から、者は物となり果てる。動くこともないその体から流れる赤いもの。それが尽きるのと、体が冷たくなるのとどちらが先なのか。
きっと今、己の瞳は、肉塊となり果てたものをただ映しているに過ぎぬのだ。
倒れ、果てた物にどんなに思いを馳せたとて、それが何をしてくれることもない。そしていつか己とて、それに成り下がるのが決まっているのだ。
逃れられぬ「死」を恐れ、あがいたところで何になろう。己が手にしたもの全てを持って行ける訳ではあるまいし、天下人が亡くなったとて、永遠に世が闇に覆われるわけでもない。
己の手に入れたもの全て、持ってゆくことが出来ぬのならば、せめてそれを己に繋がる者へと繋ごう。
いつか己が物へと成り果てる前に、己に繋がる者へとそれを繋いで。それは大きすぎてもいけないし、小さすぎてもいけない。己の腕に抱え込める範囲でいい。それだけでも、何かが残せればいいのだ。
そのためには手段を選ばぬ。引きずられて、壊されてしまうような想いならいらぬ。どうせいつかは物になるのだ。せめて今だけでも、役に立てばいい。
いずれは物になるのならば、今から心をそうしたところで何の支障があろう。
やがて朽ちる体という器の中に物と化した心を抱き、さりとてどうして、今の自分が「人」などと言えようか。
もの言わぬ物と化したその体が急速に熱を失っていくのを見下ろして、それにいずれの己の姿を重ねて思い・・・
虚ろで哀れな人形は一人、嗤った。
こう・・・内容的には明智でも良かったかも・・・と思うような題材なんですが、敢えて毛利で。
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